鬱病生活記

 表紙
 目次
 はじめに
 第一章

 第二章

 第三章

 第四章

 第五章

 第六章

第四章 社会復帰への階段

2.思想

<前へ> P.137 <次へ>


11月24日(火) 23:30頃

【地獄の釜】

先程、就寝前の薬を飲み、今漸くひと段落。
大分楽になった。

先程までは、発作的に催した不快感に酷く悩まされていた。
これが、この病とやらの本質だろう。
「うつ」なんて言葉のイメージとは、猛烈にかけ離れた状態。
酷い動悸と、頭脳の混乱。
見ていたテレビがやはりいけない。
番組の内容ではなく、テレビがいけない。
おそらく、大凡の番組が、この症状を引き起こすきっかけになろう。
人伝いに、この類の頭のおかしい天才(多分そうだと思う)で、「テレビを絶対に持たない」人の話を聞いた事がある。
今までは、何故か分からなかった。
「テレビ」は、気を紛らわす格好の道具とさえ思っていた。
しかし、先程の苦悩で分かった。
特に、秋の夜長のせいもあるのかもしれない。
テレビから流れる情報で、酷く頭が混乱する。
「テレビ番組」となるからには、その裏で、案を練っている人間がいる。
その陳腐な人々の存在を意識させられ、頭が混乱するのだ。

私は愈々「地獄の釜」を認識し、やや見つめすぎているのかもしれない。
この一見きれいだが、何とも複雑な様子を見せる釜の中を、下手に見つめすぎるといけない。
犯される。

私は先程から、腹が一杯なのに、何か食いたくて仕様が無い。
多分食べたら、気持ち悪くなる。
下手をしたら吐くだろう。
だが、脳が「食べている状態」を欲しがっている。
体は、決して「食べたくない。もうお腹一杯。」と言っている。

薬を飲んで楽になった。
薬が無ければ、何か食べていたかもしれない。
そして、勝手に気持ち悪くなっていたかもしれない。
過食症とは、こんな状態なのかもしれない。


今日、午前中は会社を休んで寝ていた。
始業時刻に、「多分休むだろう」と連絡を入れていた。
だが、午後2時頃から会社に行った。
今の私には、仕事をしているときの方が、余程楽にいられる。
「地獄の釜」の事を気にせずに、動いていられる。
まだ仕事中毒の方がましだ。
そうか、「中毒」と言うのは、やはり何かからの逃避らしい。

これから暫くは、夜のこの時間帯が大変そうだ。
薬があって、大変助かる。
頭をぼやけさせる事が出来るから。
薬が無ければ、アル中か、ヤク中か、過食症?
いやはや、薬の進歩に感謝。
健全(?)で合法な「ヤク中」でいられる。


私と同じような診断を食らわせられている友人が、私がこの様になった初めのころ、「これからが大変」と言っていた。
成る程、これは大変だ。
予想もしていなかった。

また、カウンセラーも言っていた。
「このカウンセリングを始めて大変な時期は、2〜3ヶ月経った頃。」
今丁度、この時期。
本当に大変だ、これは。
次のカウンセリングの日まで持つかな・・・。
カウンセラーの言い方では、「一時的に大変な時期」との説明だったから、とりあえず、何の根拠も無く、この苦悩が「一時期」である事を願い、縋る。


厄介だ、非常に。
出口が見えない、予想もつかない。
五里霧中。


川端康成も自殺だって。
何で、あんな老人になってから・・・。
太宰治の作品を芥川賞から外すだけの目を持っていたというのに。

やっぱり皆、「見ちゃぁいけない物」に魅入られたらしい。


<前へ> P.137 <次へ>