アニソン遍歴時代 (前編)
歌年鑑のリニューアルスタートを機に、自分のこれまでのアニソン遍歴についてだらだらと書きつづってみたいと思います。
20代以下の方にとっては多大なジェネレーションギャップを伴う記述もあるかもしれませんがこんな時代もあったんだよ、ということでひとつおつきあいください。書いてる方もけっこうキツいよ!これが。
自分がものごころついたのは80年代中盤のまさにアイドル全盛期、ちょうど中学生だった兄貴は「お前、おニャン子で誰が好きよ?」という会話がデフォルトの直撃世代でした。
しかし中学生の財力でレコードやカセットを買いあさるのはムリ(そもそも、昔住んでたとこは駅もないようなド田舎だったんで売ってすらなかった)なもんで、やむなく「静かにしててよ!」と家族を口止めしながらカセットデッキで夕ニャンを必死に録音してました…。
いや〜、ホントにたかだか20年前の話かこれ。
しかしボケはじめてたバアさんを黙らせるのにも限界が来て、ほどなくテレビとライン接続できるカセットデッキが導入されることに。
さっそく自分もこれで好きなアニソンをバリバリ録音してましたよ、トランスフォーマーやバットマンの主題歌を。
なんだ、この将来が約束されたような選曲は。実はこのバットマンの主題歌は米米CLUBのダンシングチーム・シュークリームシュが歌ってたりと、今思えばジャリアニメらしからぬ大人のムードを漂わせてました。
さらに小学生のくせに兄貴のマネしていっちょまえにアイドルにも手ぇ出していて、当時好きだったのはなぜかキョンキョン。
もう自分がファンになった頃はさすがに全盛期も過ぎていて、最初に買ったカセットも『夜明けのMEW』だったりしたんですが、ラジオの特集でこれまでのシングルをまとめて流していたりと名曲が出そろった時期と言っていいかもしれません。
しかし兄貴につきあって夕ニャンとかスケバン刑事は観てたのに、結局おニャン子にハマることはありませんでした。 が、まだしもこの段階ではアニソンに転ぶとは限らなかったんですが…
80年代後半、栄耀栄華を極めてたアイドルブームに突如カタストロフが到来。
おニャン子クラブは解散、ザ・ベストテンをはじめアイドルポップス主体となっていた歌番組もドミノ倒しに消えていき、将来はどのアイドル追っかけよっかな〜と漠然と思ってた俺の前から肝心のアイドル自体消え去ってましたわ。
それでも一部のアイドルはまだその命脈を保ってたものの、な〜にが乙女塾だなにが桃色学園都市宣言だ!みんなおニャン子の二番煎じじゃねーか(兄貴はしっかり追っかけてたけど)!と結局ノリきれず。
そしてマイケル・ジャクソンのそれがヒットし、日本でもランキング系歌番組が消えた後主流となっていったのはミュージッククリップでした。
当時のそうしたミュージッククリップを垂れ流す番組で露出し始めてた森高千里はわりと好きだったんですが、後にガールズポップの先駆けとなっただけに従来のアイドル的な文法からは外れていて(なにしろ、当時既にサンタナのオエ・コモ・バをカバーしてたような強者だ)これまたついていけませんでした。 「ストレスが地球をダメにする!」やら「ゴキブリ嫌いだ!」とか歌ってた森高は電波ソングのハシリですな、今思えば。
アイドルブームの後に訪れたバンドブームもリズム感がさっぱり妖精で楽器もダメ、選択授業じゃ即美術を選んでた俺は完全に脱落。
せいぜい友達からユニコーンや筋少を借りてほそぼそと聞くくらいで、自分ではなにものも見いだせないままボンクラ…もとい多感な中学時代を過ごしていました。
(中編につづく)
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