鬱病生活記

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 目次
 はじめに
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 第二章

 第三章

 第四章

 第五章

 第六章

第四章 社会復帰への階段

1.ニート脱却へ

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10月25日(日) 1:30頃

【この節(1.ニート脱却へ)の更新頻度を低下させる】

最近は、「放送大学」を見始めているものだから、このホームページに色々書くほど、時間に余裕は無い。
また、生活状況はそれ程変化しないだろうから、書くネタも無いであろう。
更に、学問への欲求か強まり、先日、通販で何冊も書籍を買い込んだので、それを読む時間も欲しい。

よって、この節(1.ニート脱却へ)に、だらだらと大した事の無い日々を綴る事は少なくなるだろう。「ニート脱却」との思いは勿論あるが、逆に「勉強したい」という欲求もあるものだから、今はこの機会を、「勉強」の方に集中させて貰う。
折角、勉強できる絶好の機会なのだから。
勉強と言っても、何か仕事に直接繋がるような内容では無い。
古典的な、歴史上の著名人達の書物を読み、普遍的な人間の性質、また、人間に対する教訓を学びたいのだ。

だから、この節を更新していく内容としては、私の状態変化に直接かかわるような事、主にカウンセリングや診察の事柄くらいになるであろう。


そう言えば、今朝(土曜日)の目覚めは、これまでに体験した事の無い物だった。
私が夢の中で「『自殺』を覚悟して、半パニック状態で部屋を飛び出す。」としたところで、体がバタンと寝返りをうつかのように動き、目が覚めたのだ。
私は、意識の上で、「自ら死を選びたい」などと思っていない。
しかし、意識の底で、「早く死を迎えたい」と言う欲望を持っているのだろう。
つまり、「早く死にたいが、自殺はしない。」と考えているらしい。


【過食症、拒食症、鬱病、躁病、等の関係】

私は今日、と言っても日付が変わってしまっているので昨日(10/24)の事となるが、「デパス」を飲まずに済んだ。
家で、寝転んでテレビや本を眺めていた時間が殆ど。
あとは、いつものカレー作りをしたぐらい。
材料は、金曜日の仕事終わりに買っておいた物を使用したものだから、家からは1歩も出ていない。

変な夢で、9時頃飛び起きざるを得なかったのだが、その後はダラダラと横になったまま過ごしていた。
お昼も過ぎ、15時くらいになってからであろう。
いつもの鍋いっぱいの手抜きカレー作りを行った。
更に、先日、ネットショップで衝動買いした炊飯器を使い、3合の米を炊いた。
今日は、これでお腹一杯、たった一度の食事を採っただけ。
(勿論、カレーやご飯は全て食べたわけではない。残ったご飯は、ラップで小分けにして冷凍した。)

お腹一杯食事を採ると、胃に血液が集中する為、頭の方は鈍くなり、少し楽になる。
だから、「デパス」が不要だったのかもしれない。

しかし、この「お腹一杯食べる」と言う事での回避は、下手すると「過食症」に繋がる恐れがある事に気が付いた。
個人的には、「過食症」より、「デパス中毒」の方が良い。(良いのか?)

恐らく、「過食症」になるのは、悩みや何かが脳の活動を活発にし、苦しめるから、それを回避する為に「大量の食事をする」、と言う悪循環から生まれるのだろう。(例えば、「うつ」や「躁」、「躁うつ」、「統合失調症」等々が根幹にある。)
逆に、「拒食症」と言うのは、「食べる事」自体に何らかの意識的抑制をかけてしまう結果、例えば、「食べる事は悪だ」と考えるようにした結果、起こるものだろう。
だとすれば、「過食症」は、自己の脳制御を促すために行う対処的処置であるのに対し、「拒食症」は、直接的に(恣意的に)自己の脳の欲求を押さえつけると言う、何とも相対する構図が見えてくる。

尤も、何らかのストレスの結果、脳内の障害(「うつ」や「躁」等の精神的不安定状態)が起こり、動物的で根本的な欲(食欲、性欲など)が抑制されてしまうと言う症状もあるものだから、それで「拒食症」となる場合もあるだろう。
だが、この場合、「拒食症」は明らかな症状であり、直接の病名とはならないから、つまり別の病気で既に認識されているから、「過食症」と「拒食症」は、病名としてレッテルを貼られた時点で考えると、前述の似ても似付かぬ奇妙な関係は成立する。

「過食症」は、他に根本的な問題が存在するのに対し、「拒食症」は、それ自体が病気であるという事なのだ。


それにしても、大きな炊飯器を買っせいで、私も「過食症」になったら嫌だな。
せっかくこんな機会で減った体重なので、それを維持したいから。
(ただ、引越し時に、体重計を仕舞ったままで、最近は、全く体重を量っていない。既に増えていたりして・・・。)


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