鬱病生活記

 表紙
 目次
 はじめに
 第一章

 第二章

 第三章

 第四章

 第五章

 第六章

第一章 精神障害発生(鬱病)

2.自殺未遂に至るまで

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【そう簡単に死ねる物では無い】

彼から「やっぱり理結婚はできない。」と、別れを決定づけられたのが2月22日の夜。
次の日(2月23日)は、私はトボトボと会社へ。

そして、眠れずに一晩過ごした、次の日(2月24日)の朝、職場の異性と男女の仲になっている事を彼の携帯電話を見て知った私は、気が動転して、彼が以前服薬していた坑鬱剤だか睡眠薬だから分からないが、残っていたありったけのそれら薬を、一杯の水で飲み干した。
その後、風呂場に包丁を持って行き、手首を切ろうとしたが、流石に切れない。
切れないどころか、傷一つつけられなかった。
日ごろ手入れの悪い包丁では、ただ押すだけだと傷はつかない。
ここから力いっぱい引かなければいけないのだが、その勇気は出なかった。

浴槽に水も溜め始めていたが、なかなか溜まらない。
手首を切れない情けなさと、「どうせ薬を飲んだんのだからいずれ死ぬ。」という何とも言えない虚無感を憶え、私は嗚咽とともに子供のように「ワーン」と叫んだのである。
彼がそれに気付いたらしく寝床からやって来て、散らかった薬の抜け殻を見つけ「これ全部飲んだの?」と問いかける。
私は問いに答えることなどできず、「この状況を見れば当然でしょうと。」と心の中で呟いた。
その後、彼は119番へ連絡したらしい。

ちなみに私は、だらんと手に持っていた包丁を彼に取り上げられ、浴室と洗面室の敷居をまたいだ状態でうつ伏せになり、記憶が遠くに行ってしまった。

その後、聞き出した情報ではあるが、彼の肩をかりて浴室から寝室へは半自力で移動し、布団に横になったらしい。
そこで、彼が私の顔をビンタしても一向に意識が戻らないので、救急車を要請したらしい。
記録を調べると、私が薬を飲んでから彼が発見して救急車を呼ぶまでの間に20〜30分程度の時間がある。
その間、彼は自力で私の意識を覚まそうと試みていたのだろうか?
それともただ単にあたふたしていたのだろうか?

また、彼からの連絡とは別に、搬送先の病院から「意識不明です。」といった内容で両親に連絡が入ったらしく、「これは命に関わる出来事かもしれない。」と慌てて、両親が上京するまでに至った。

後の記録を調べると、救急病院では、胃洗浄をするなど適切な処置を行い、私は大して体を害することもなく、入院の翌日には、ケロッとして退院していった。
なお、私のような大量服薬をしても、救急車で運ばれれば、死ぬ事は無いらしい。
それに、救急車で運ばれなかったとしても、薬の量や場所にもよるが、数日後には眼を覚まして死ぬ事は出来ず、逆に長時間同じ体勢で居続けた結果、床ずれを患うだけだと言う。)

ちなみにこの時点では、彼がその異性の同僚に対して、好意を持って「いずれはあなたのもとに向かう。」と約束していたかどうかは定かではない。
彼の携帯メールのやり取りを全て見ていないので、確信的な証拠はつかんでいない。
いっその事、その時、気が動転する前に、全てのメールのやり取りだけでもチェクすべきだったと後悔している。

ただ、この大量服薬の一件以来、彼は、「あなたの事が怖い。あの自殺未遂の際、あなたの持っていた包丁で刺されるかと思いました。こんな恐怖を覚えたのは生まれて初めてです。」とメールで送ってくるだけで、駆け付けた両親には大した説明もしなかったらしく、とりあえず両親をマンションに留め、どこかに外泊をし続けている。

最初の数週間は、土日のどちらかに必需品を取りに何度かマンションに来たらしいが、それ以外、このマンションには近寄らなくなった。
(彼は「刺されるかと思った。」なんて言い訳がましい事を言っているが、これは私から離れる為の口実だろう。だって、刃物をすぐさま私から取り上げたのは彼なのだから。普通、刺されるかと思ったなら逃げる筈。私が刺そうとする雰囲気でなかったことは、彼自身、自覚していると思うのだが。)

彼の代わりと言ってはなんだが、定年退職後で特に仕事もしていない父が、私の様子を見守るという目的で、このマンションに居座る事となった。
なお、母は仕事があるので、私が救急病院から退院した日に郷里へ戻った。


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