鬱病生活記

 表紙
 目次
 はじめに
 第一章

 第二章

 第三章

 第四章

 第五章

 第六章

第二章 精神病院での入院暮らし

1.精神病院生活記

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4/14(火) 6:00頃

【泥棒疑惑事件】

衣類をしまう為、みかん箱2つ分くらいの鉄製のケースが、ベットの下に置いてある。
それを開き、私の衣類が無くなっているのに気付いた。
鍵は掛けられていない。

誰が持っていったのか、朦朧とした患者が多いだけにさっぱり分からないが、名前を書いていない物だけ盗まれているようだった。
いや、盗まれている物の中に、一つ確かに名前を書いたシャツがある。

看護師に事態は伝えたので、いずれは見つかるだろう。少なくても名前の書いた覚えがあるシャツは出てくるだろう。その時、他の物も見つかるかもしれない。

下着や靴下はもうチョット欲しかったから、何れは買いに行かなければと思っていたので、今日衣類を買いに行ってもいいかもしれない。


でも、正直驚いた。
「盗まれることがある。」とは聞いていたが、実際に自分の身に降りかかると、迷惑なものだ。計画が狂う。

どうせここにある衣類など大した物で無いのだから、全てに名前を書いておこう。



4/14(火) 8:20頃

【泥棒は私だった…、反省】

何たる失態!

「誰かに盗まれた。」と思っていた衣類は、昨日、自分が洗濯し、屋上に干したままだったのだ。
自分では、「とり込んだ。」と思い込んでいたので、看護師が屋上に行き衣類を持って現れるまで、私は患者の中の誰かを疑っていた。

しかし、看護師に抱えられた衣類を見た時、瞬時に昨日の自分の行動を頭の中で再生し、確かに洗濯物をとり込んでいない事を自覚した。

この出来事があったのは、朝食時の少し前の時間。
私は、周りの者から盗癖があると聞いていた、Tさんを疑っていた。Tさんが他人のヘアブラシを使っていたのを目撃したこともあったから、尚更、彼女に盗癖のある事を確信していた。そんな先入観がいけなかったのであろう。Tさんには本当に申し訳ない。
食事の席も、ベットも、Tさんとは隣同士だった。
朝食時、配膳車から食事を持ってきて席に着くと、私はTさんに謝った。私は、Tさんに対して、「あなた盗んでませんか?」と尋ねたりするような、疑いを持っている事を行動で表していた訳ではなかったが、何故か謝らずにはいられなかった。

Tさんは、問いかければ答える程度で、普段は無口で何に対しても興味を示さない症状を持った人であった。強い薬のせいで、色々と押さえつけられているのかもしれない。

彼女は、心根の優しい人なのだろう。私が唐突に子声で、「あなたの事を疑っていました。済みません。」と謝ると、少し首を横に振りながら、「いえいえ。」と私より小さな声で答えてくれた。
その後、私は、何度か「済みませんでした。」と謝りながら食事を済ませた。


歯を磨き、自室に戻ると、Tさんが私とは逆側の隣のベットにいるNさんと立って話をしていた。二人のところに行き様子を見ていると、何やらTさんがNさんに謝っている。
どうやら、NさんのヘアブラシをTさんが使っていたらしく、それに対してNさんが怒っていて、Tさんが頭を下げているのであった。私は、余計なお節介だったかもしれないが、その場を取り仕切り、その後また、Tさんに対して疑っていたことを謝った。90度のお辞儀をして。Tさんは、何事もなかった様に(実際、心の中で疑っていても、Tさんに対して何事かした訳ではないのだが)、許してくれた。


今まで、こんな風に物忘れをした事など無かった。
この様に自身の行動を覚えていない(忘れる)時がちょくちょくある。
これも病気や薬のせいなのだろうか?

すごく眠くなったので、これから少し眠る・・・。



4/14(火) 11:00頃

【平和】

今日、Aさんが『保護室』から出てきた。私がタバコ部屋に入ると、AさんとHさんが握手をしていた。どうやら、仲直りしたようだ。良かった。薬のせいもあるのだろう。Aさんは落ち着いていた。

Aさんは、先週の木曜日だったろか、金曜日だっただろうか、とにかくそのくらいの時に、「Hの野郎、ぶっ殺してやる!」と怒鳴りながらHさんの部屋に向かって廊下を歩いていた所を、看護師たちに捕らえられ、駆け付けた当直医の指令で、『保護室』行きとなっていたのであった。確か、夕方だったと思う。

今日のAさんは、白縁の伊達眼鏡をかけていた。『保護室』に入る前に、私の眼鏡をかけて、皆から「似合っている。サングラスより、そっちの方が良いよ。」と言われていたからだろう。何らかの方法で、おそらく保護者からの差し入れで、眼鏡を手に入れていたらしい。
Aさんは、20代後半なのだが、眉毛は剃っているし、髪は茶髪だし、未だにヤンキー風の格好だったので、見た目には高校生ぐらい。だから、大人っぽく、落ち着いた感じになるよう、縁のある眼鏡の方が似合うのだ。

何にしても、AさんとHさんが仲直りして良かった。やはり平和が一番。AさんとHさんが出ていったタバコ部屋で一人になった私は、この部屋に設置してある、誰もモニタリングなどしていないだろう監視カメラに向かってピースをした。



4/14(火) 11:20頃

【麻雀を教わる】

さっき、麻雀を教わった。
『ひろさん』に「メンバーが足りないから。」と誘われて参加した。
皆強い。特にFさんは強かった。

麻雀は何となく分かってきた。今までゲームセンターでしかやった事が無いので、あがり方くらいは知っていたものの、パイの取り方や並べ方、捨てパイからの人の手の予測する方法等を教えてもらった。

まだ得点の数え方や、中国語で言うパイの名前なんかは分からないが、メンバー不足時の付き合い程度くらいはできそうな感じになった。



4/14(火) 14:00頃

【私の胸の大きな穴】

今日も午後から院内の散歩に出た。
笹で作られた壁と屋根のある、風通しの良い日陰となる喫煙所。
ここは特にお気に入りの空間なので、散歩に来ると、いつもここでタバコを吸う。
何本かタバコを吸っている間に、他の病棟の患者が何人かやってきた。
何故か外交的な私は、初対面であるにも拘らず、その者達と会話を楽しんだりしていた。

ゆるやかな時間を過ごした後、ぶらぶらと歩きだした。
病院の大時計が見える喫煙可能なベンチに腰を下ろし、また、タバコに火をつけた。

すると、私が居る病棟とは別の建物の扉から、同じ病棟に住む女性が出てきた。
名前は知らないのだが、130Kgもあろうかという巨体だったので、また、その愛くるしい表情もあるせいか、私は心の中で『トトロ』と呼んでいた。
『トトロ』と私の相性はあまり良くない。
『トトロ』が隣に腰を下ろしたので、私は、ベンチの両脇にある花壇に咲いていたチューリップをネタに、会話を試みた。
しかし、会話は弾まない。やはり馬は合わないか。
小降りだった雨が、少し激しくなってきたのを理由に、私は席を外し、プレハブの喫煙所に移動した。

そこでタバコに火をつけた時、『トトロ』の行動と先の会話で「D棟(トトロが出てきた建物)にはエレベーターがある。」と『トトロ』が言っていた事を思い起こした。
これまでの仲間との付き合いから、D棟が開放病棟だと聞いている。
『トトロ』が出てきたということは、あそこの病棟は出入り自由なのではないか。
そんな好奇心が胸を弾ませた。
急いでタバコを吸い終えると、小雨の中、『トトロ』が出てきた扉へ向かった。

扉を開けると、中は3畳程のスペースで、右にはエレベーター、向かいには鍵のかかった頑丈な扉があった。「何だ、中には入れないのか。」と落胆しつつ、とりあえずエレベーターに乗った。

3階まである。
まずは、2階で降りてみた。
1階と同じように鍵のかかった扉があるだけで、中には入れない。
「3階も同じだろう。」と予測しつつ3階に向かった。

すると予想とは裏腹に、3階には長い廊下が続いており、その突き当りの右側には、開いたままの扉があった。
「あの部屋に入ってみよう。」そう思い歩を進めた。

廊下の壁には、写真や絵、ジグソーパズルが飾られていた。鬱病を“心の風邪”と称して金儲けを図っている輩が、“治療”と称して患者に作らせたのだろう。そんな皮肉を考えながら、扉の中の部屋に入った。

かなり広い部屋で、中には『トトロ』もいた。
入口で立っていると、俗に言う“草食系男子”が歩み寄って来て、私にこの部屋の用途を説明してくれた。ネームプレートも付けていなかったので、患者だか職員だか分らなかったが、話の内容から、その男性は、患者をおもりする側の立場らしい。
ここは“デイケア”と言って、何らかの障害があるとみなされている者達が通ってくる場所だという。しかし、同じ病棟の『トトロ』が居るのはどういう事かと訊ねると、退院間近の者が医師の許可を得て利用する場合があるとの事。
広い部屋の中にはマッサージチェアらしきものがあったので、それに魅かれた私は、「あれは使えないのか?」と聞くと、「あれはマッサージチェアではなく単なるソファーです。」との答え。

どうやら私には必要なさそうな場所で、“草食系男子”からも出ていくように促されたので、その部屋を後にした。

ゆっくりと歩を進めながら、壁に掛けられている左右の絵や写真などを眺めていった。
子猫や子犬、かわいい系の動物の写真やジグソーパズルが多かった。
「こんな物を作ることで精神障害が回復するのか?やらせる側の一方的な見解で“癒し”を押し付けているだけでは?」
また、皮肉な考えをしていると、それらジグソーパズルの中に、他よりも一回り大きいものを見つけ、私は凍りついた。
私と同居していた彼の間で楽しんでいたキャラクターのものだった。
付き合い始めて二年くらい経った頃だろうか。二人で立ち寄った雑貨店でそのキャラクターの絵本を発見し、私も彼も気に入って、そのキャラクターグッズを集めていた。
そのキャラクターは子供の男女を模したもので、私を凍りつかせた絵は、ある巻の絵本の表紙のものだった。

私は廊下に座り込み、じっとそのパズルの絵を眺められずにはいられなかった。
男の子は正面を向き、女の子は男の子の方を見つめて、花を手渡そうとしている。
男の子は女の子の方に目を向けていない。
これまでの私と彼の関係を象徴しているかのように思えて仕方がなかった。
私の胸にはポッカリと大きな穴が空いている。まだ、これは埋まっていない。
何とも言えない虚無感で、暫らく動くことができなかった。

その絵と私の間を何人かの者が往来していった。その者達から見れば、私のその様子は、確かに精神障害者のそれに見えただろう。空を見つめ、座り込み、動かない。私の中にある、暗く深い大きな穴が、私をそうさせた。この穴が無くなれば、私の病気は治るのだろうか。(尤も、私は、私が本当に病気だと思いきれていないが。)ともかく、この大きな穴が無くなれば、私は楽になれるのだろう。頭では分かっている。理解できている。

数分なのか、数十分なのか、そんな状態が続いた。

「今日の3時にはおやつがある。確か餡パンが出てくるらしい。」
ようやく他の事を考え、私はその場を去る事が出来た。



4/14(火) 15:40頃

【ちゃんと会話は出来るんだよね】

15:00、予定通りおやつの餡パンが出た。
食事の時と同様に、皆、ダイニングルームに集まり、席に座る。
40人程度の患者が、配られた餡パンを食べる。
私もその一員。実に滑稽な姿なのだろう。
いい大人達が集まって、一斉に餡パンに噛り付いているのだから。

餡パンの袋に、“プレゼントキャンペーンの特典シール”を見つけた私は、「みんなの分を集めれば何か貰えますね。」と特に返事を期待する訳でも無く看護師に言い放つと、「そうね、お皿とか貰えるかもね。」と、看護師は目も合わせずに淡々と答えた。

餡パン一つなので、食べ終える時間は皆同じくらい。同じ6人テーブルの斜め向かいに座っているHさんが、食べ終わった皆の餡パンの袋から、“特典シール”をはがして集め始めた。丁度食べ終わっていた私も、彼に袋を手渡した。
私は、「成程な。」と感心した。彼女は周りの話をちゃんと聞いて理解している。
まあ、ここに入院しているし、日頃の行動から、何かが欠落しているか何かが並外れている事は認めざるを得ない。しかし、始め私が思ったように、そして、今を生きる大多数の人が彼女を見た時思うように、彼女は“訳の分からない動く者”なのでは無い。感情もあるし、会話もできる。ただ、日本の今の社会では、自立できないだけなのだ。

なお、彼女のシール集めの行動は、ケースワーカーに阻止されてしまったみたいだ。
「勿体無いな。何か貰えるかもしれないし、他に誰か集めている人が居るかもしれない。」
そんな事を考えながらトイレに入ると、Hさんが居た。
「残念でしたね。」と声をかけると、「いいですよ。しょうがないです。」と答えた。

ほら、ちゃんと会話できるよね。


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