鬱病生活記

 表紙
 目次
 はじめに
 第一章

 第二章

 第三章

 第四章

 第五章

 第六章

第二章 精神病院での入院暮らし

1.精神病院生活記

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4/15(水) 6:30頃

【瞑想にチャレンジ】

昨日の夜は、坐禅を組んでいた。座禅と言っても、そう整った形のものではない。ベットの上に楽な格好で座り、目をつぶる。胡坐をかいたり、足を延ばしてみたり、そんな形だから座禅と呼べるものではないのかもしれない。ただ、状態としては、瞑想と言っても良い感覚であった。

この病棟では、19:00の夕食が終わると、20:00頃に就寝前の薬が出る。ちなみに、消灯は21:00だ。夕食を終え歯磨き等をした後から薬が出るまでの数十分間と、薬を飲んでから消灯になるまでの時間に、その様な事を行ってみた。

最初の方が良かった。CDプレイヤーでバンドものの激しい音楽を聴きながら行っていた。(音楽を聴きながらだから、瞑想とも言える代物でも無いかもしれない。)

目を瞑ったままでいるのは、怖い。そして、面白い。視覚という大きな感覚を使わなくなるので、周りの状況が殆んど分からなくなる。
しかし、目を閉じても何も見えなくなる訳ではない。両目の中には、丸いタンポポの綿のような物が浮かび、ぐるぐると回っている。大きくなったり、小さくなったりもする。
また、「目を開けたい!」という衝動が起こるとので少し瞼に力を入れると、眼球が痙攣してヒクヒク動く。

その内、額の中央、前頭葉の部分なのだろうか、そこが疼いて少し熱くなってくる。
「その、この感触。ここが使えるようになれば良い。」
何の根拠も無しに、その時は、そう感じた。

薬が配られた後は、『ひろさん』に瞑想について、それと無く聞いてみた。彼女もそんな事をした事があるみたいで、「やり過ぎると私みたいになるよ。」なんて冗談半分に言われた。そして眠りに就くまで、瞑想の続きをしていた。
しかし、薬のせいだろうか、体全体が火照ってきて、先程の様な感覚には至らず、いつの間にか、眠りについていた。

瞑想しながら熱くなって上着を脱いだ記憶があるのだが、起きてみると上着は着て、ちゃんと布団の中に横になっていた。

目覚めてから、顔を洗って、これを書いている。今日も瞑想もどきをしてみようかな・・・。



4/15(水) 7:20頃

【人が人たる所以】

人と人とは化学反応を起こす。話をしたり、握手をしたり、時には喧嘩をしたり、注意されたり、注意したり。そんなここでの暮らしで、皆、病を直していくのかもしれない。
当然、薬も必要だろうが、それだけでは駄目だ。
やはり、人は一人で生きて行くものではない。皆、ワイワイ、ガヤガヤ、やっていくものだ。

大学生の頃に見た、中学校の理科の教科書に書いてあった。
「物が振動を起こし、それが空気を伝わって、人の鼓膜に触れ、“音”となるのだ。」
そんな内容だったと思う。
私はこれを見た時、一瞬理解に苦しんだ。
「物が特定の周波数で振動すれば、そこで既に“音”が誕生しているのではないか?」
私は、こう思ったのだ。何故に“人の鼓膜に触れる”必要があるのかと。

しかし、その後直ぐに気がついた。
“音”とは、人間が認知して初めて誕生する物。人間が勝手にそう定義しているもの。だから、人が何らかの方法でその存在を確認しない限り、それは無い物と同義である。
例え、南極でペンギンが“ギャー”と鳴いても、北極で氷河がギシギシと割れても、誰も聞かない、それを人間が感じなければ、それらは“音”と呼べる代物にはならないのだ。

人もそうだ。生まれる時は母体から出てくるので、完全に他人と接触しないという事は、ほぼ不可能に近いが、他の人間に認知されずにいたら、それは“人”とはならない。(SF的な話になるが、試験管ベイビーとして、人と接触無しに、例えば全て機械で操作され誕生し、成長したホモサピエンスが出てきたら・・・。)

人と人とは関わり合いながら、本当の“人”として成長していくのだ。



4/15(水) 19:50頃

【ちょっと悪寒】

ここに居る患者達の素性が分かってきた。
知的障害者。ヤンキーで警察沙汰の結果、措置入院となって居る者。
まあ、そんなものかと思っていたが、結構な経歴の者達も居るらしい。
飽くまで噂なので良く分からないが、元ヤクザ絡みの者や、刑務所暮らしを経験した者も少なくないようだ。
もし、そんな者達と肩を並べ、それなりに会話をしている私を客観的に考えると、例え彼女等が薬漬けで朦朧としているといっても、流石にゾクッとする。

登校拒否時代を除けば、まあ、それなりのレールに乗っていた“真人間”とでも言うのだろうか、寧ろ“良くできた子”的にやってきた私にとって、こんな人間関係ができる事など、想像していなかった。



4/15(水) 20:00頃

【薬でここの患者は治るのか?】

“薬漬け”にされる事で、本当に我々患者達は、社会に出ていけるのだろうか。
私は、例えば花粉症の薬のように、精神安定剤を常に飲んでいても、自立した生活ができるのならば問題無いと思っている。
しかし、薬の量が徐々に増え、MAXまでいっても効かないような状態になったらどうするのだろう?
現に、薬の量を増やされているにも拘らず、睡眠薬については、私も慣れてきて、効きが弱くなっている事を体感している。ここに来て初めて睡眠薬を飲んだ時は、眠りに落ちたことすら記憶が無い程、直ぐに眠れていたのが(尤も、その頃はかなりの疲労が溜まっていたせいもあると思うが)、今では、薬を飲んでも、2時間は眠らずにいられる。

“薬”と呼ばれているこれらは、本当に“治療”になっているのだろうか?

独房生活2日目の朝、看護師に尋ねた事柄が思い起こされる。
「ここに居る患者達に対して、治療をしているのですか?」
看護師の答えは、「そうです。治療をしています。ここは病院ですから。」

「病院ですから。」
この一言が妙に耳に残っている。

これから薬が出てくるが、今夜は飲まない。この病棟の管理体制では、薬を飲むふりをする事など容易い。特に、他の者より症状が軽いと捉えられている私にとっては。



4/15(水) 21:00頃

【今晩の薬は勝手に抜いてみた】

結局、薬を飲まずに済んだ。口に含んだ後、洗面所に行き吐き出した。

その後、消灯の時間まで、『ゆきさん』と約束していた“将棋崩し”をやって遊んでいた。
“将棋崩し”は、私が小学生になるかならないかの歳に、父から教えてもらい楽しんでいた遊びだ。これを『ゆきさん』と5回やる約束をしていたのだが、彼女のわがままから、泣きの2回と、更に泣きの1回に付き合わされ、結局8回やった。
何やら彼女には楽しいらしく、昨日教えて以来、「またやろう、またやろう。」としつこく迫ってくる程、ハマってしまったらしい。尤も、複数の指で挟んだり、音が鳴っても「鳴ってない!」と言い張って譲らなかったりするので、まともな勝負にはなっていない。私が「それ駄目!」と注意しても、いつも彼女が勝つよう、事を運ばれてしまう。
彼女は、必要な時期に愛情を受けそびれた為、このような所に入らなければならなくなったのだろうと常々思っていた。(ここに居る患者の多くは、根っこに「愛情の受けそびれ」があるのだろう。)だから、できるだけ私も付き合っているのだが、流石に彼女のしつこさには閉口する時もある。
そんな彼女の行動の為、彼女は看護師達から褒められる事より叱られる(と言うよりは怒られる?)事の方が多い。

本当は、彼女の欲求を全て吐き出させてあげたいのだが、現実的には無理だ・・・。



4/15(水) 22:30頃

【深夜の足音】

今夜は薬を飲まなかったので、良い瞑想ができそうに思った。
足を組み、手を広げ、枕越しにあるベットの枠に背をもたれ、消灯後、そのポーズに入った。
しかし、今一落ち着かない。消灯の結果、暗くなったせいであろうか?

ともかく、しっくりこない瞑想を続けていると、当直医の見回りらしき足音が近づいてきた。
単なる被害妄想であろうか。当直医が私の部屋を覗き、私の姿を見て「何あれ」と吐いた。
患者の事を物扱いでもしなければ、ここでの仕事など長く勤まらない事は重々承知していたが、その物の言い様、音だけで感じる彼らの態度には、目を瞑りながらも人を侮蔑している何かを感じた。

私とあなた、狂っているのはどっち?


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