鬱病生活記

 表紙
 目次
 はじめに
 第一章

 第二章

 第三章

 第四章

 第五章

 第六章

第二章 精神病院での入院暮らし

1.精神病院生活記

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4/16(木) 1:30頃

【自分の判断でに服薬を止めるのは厳禁!】

薬を飲まなかったのは失敗だ!

夜も眠れず、気を紛らわす物もなく、これまでの後悔の念が、体を覆い始めた。

時間を確かめるべく、ベットから動き出した。
廊下に出て薄暗い中で時計を確かめると、0:10を指している。

『ゆきさん』は、まだ起きている。ボケかかった患者のばあさんと、ダイニングルームで今日は木曜だとか水曜だとか言い争っていた。動く私を発見した『ゆきさん』は、駆け寄ってきて「今日水曜だよね?」と私に問いかけた。「もう12時を過ぎたから、木曜だよ。」と答えると、理解できなかったのか、少しの間を置いて「今日水曜だよね?」と、また聞き返してきた。流石に付き合いきれず、「そうだよ、水曜だよ。」と答えると、またばあさんの方へ行き「やっぱり水曜だよ。金子さんがそう言ったよ。」と、また言い争いを続けていた。

それを尻目に、私はベットに戻る。

しかし、眠れない。後悔の念が頭をめぐる。
薬を飲まなかった事もそうだが、これまで約7年間同居してきた彼に対する私の行動が、何より強く重かった。

どす黒く汚れた血のような流動体が、胸の中を蠢いている。苦しい。

1:00ちょっと前くらいだった。たまらず看護室へ向かったが、「邪魔をしては悪い。」との思いから仕事をしている看護師に声をかける事が出来ず、看護室の扉の向かいの壁にもたれ、しゃがみ込んでしまった。

『ゆきさん』が近寄って来た。
「どうしたの?」と訊ねる。
「疲れた。」精いっぱいに、哀れな格好で、そう答えた。
私の様子が徒ならぬ事を察知したのか、特に返事も無く『ゆきさん』は、その場を去っていった。

暫くすると、看護師がしゃがみ込んでいる私に気づき、出てきてくれた。
「どうしました?」と訊ねられた。
私は、薬中毒になるのは怖いが、現に薬を飲まずなければ平穏に居られない私自身に気付き混乱していた。
誰か適切な相談相手が欲しかった。主治医の先生に相談しようと思い、「私の次の診察日はいつですか?」と訊ね返した。
すると看護師は資料を見て答えた。
「特に決まっていませんが、X先生なら希望すれば金曜日に時間を取れます。」
やはり主治医も忙しいのだろう。私自身の勝手な行動のせいで主治医にも迷惑をかけてしまう。それは辛かったが、それ以上に、今の自分の状態が苦しかった。
結局、金曜日に時間を取ってもらう事にした。

さらに、今の自分を楽にする為、看護師に聞いた。
「眠れないんです。看護師の権限で睡眠薬を出す事はできますか?」
何と答えられたか覚えていないが、どうやら薬を出す事は可能らしい。
「コップを持ってこれますか?」と言われたので、私は頷き、コップを取りに自室のベットに戻った。

コップを手にし、水を汲むべくトイレに入ると、いつも一人でブツブツ何かを呟きながら徘徊している初老のUさんが、隅で蹲っていた。
「大丈夫かい?」と声をかけ軽く肩をたたいたが、返事も動きも無い。
私も他人どころではないので、水を汲み看護室へ戻り、睡眠薬を貰って飲んだ。
そして、ついでにトイレのUさんの状態を看護師に伝えた。
鬱々と歩き部屋に戻る私を追い越し、看護師がUさんのところへ行った。
私の部屋の真向かいにトイレがある。
トイレの中から看護師に支えられ何とか動き出したUさんが出てきた。
このUさんは、その奇異な行動のせいで、患者の中からも忌み嫌われている。ろくすっぽ話し相手もいない。(尤も、彼女は、とある宗教の何かに洗脳されているらしく、真っ当な会話などできない。)私は、いつもこのUさんの事を寂しく思っていた。
学校のクラスの中で虐められる者が自然と出てくるように、ここでもそんな人間関係はあるのだ。
大柄な体格とは裏腹に、人一倍気の弱そうに見えるUさんの背中越しに、私は「誰かに構って欲しいんだよね。」と言い放ち、自室に入って行った。今の私にできる事はこのぐらい。

ベットに戻り、震える手で、いつもより大きな字で、これを書く。



4/16(木) 6:00頃

【悲惨な結果】

結局、昨夜は眠れなかったように思う。
目を瞑り、ベットに横になっていた時間は長く、おそらく、眠っていないだろう。
さて、今日一日、体力、気力がもつだろうか・・・。



4/16(木) 8:00頃

【我が儘で純粋な患者の面々】

ここにいる患者達は、殆んど皆、自分勝手で我が儘だ。
自分の言いたいことばかり言う者。
自分の興味ある物だけに執着する者。
自分の考えを断じて変えようとしない物。
小さないさかいは絶えない。他者への悪口も常に耳にする。

しかし、皆、純粋で優しい心根を持ったものばかり。

私は今までこの病棟の中と、院外の通常社会とを対比して考える節があった。
だが、今は、この中も、外の社会も、人間集団として考えれば、さして変わり無いように思える。

朝食を採りながら、そんな事を考えていた。



4/16(木) 8:30頃

【続・私の胸の中の大きな穴】

やはり私の胸には、大きく深い穴が空いている。
入院してから昨日まで、その穴には、薬によって薄い膜がはられていた。
彼の事など、ほぼ忘れていた。

しかし、今は違う。昨日、薬を抜いたせいか、常に大きな穴を自覚させられている。

食事をすればその味の濃さに、歯磨きをすれば歯磨きしながら会話ができるか云々で楽しんだ事に、外を眺めれば晴れた日によく散歩をしていた日々に。

心の中で彼の名を叫ぶ。

私は、開けても何も入っていない事を知っていながら、それに希望する物が入っていると感じて放り出せず、両手いっぱいに大きな箱を抱えている。

中が空なのは知っている。だから、開けたくないのだ。開けると、何もない事実を突き付けられ、耐えられなくなってしまうだろう。

そんな大きな箱を抱えたまま、ボーッと動かず立っているのだ。

ここに居る患者達もそうなのだろう。色や形はそれぞれ異なるだろうが、空の箱を抱えたまま、立ち止まって動けずにいる。



4/16(木) 10:00頃

【鬱病と日光】

鬱病に日光が良いと言うのは、本当かもしれない。(尤も、私が鬱病か否かは定かではないが。)
眠れずに迎えた少し薄曇りの今朝は、憂鬱で仕方がなかった。

晴天となった空の下、外へ出ると心も晴れた。二人で楽しんでいたキャラクターが描かれたエコバックに紙とペンを入れて手に提げ、院内の散歩に出た。

病棟を出る時、可愛すぎるキャラクターのバックなので、看護師に「似合わないでしょ。」と冗談を言える程にもなっていた。そのバックに描かれている二人の思い出が詰まったキャラクターの絵が、私の心を暗くする事も無い。

両脇にチューリップが咲く花壇のあるベンチで、タバコを吸いながら、気分良くこれを書いている。



4/16(木) 10:20頃

【頑なさが病気】

チューリップのベンチに腰掛け2本目のタバコを吸い終わった頃、向かいを歩いて行くHさんを見つけた。

私は、入院始めの頃、何故だか彼女に気に入られたらしく、それなりに会話をしていた。そんな仲の良かった頃、お互い院内散歩で会った時に、彼女が食べていたメロンパンを少し分けてもらった事があった。それを思い出し、そのお返しと思って彼女に駆け寄り、タバコを一本差し出した。(彼女も喫煙者である。)
「この前パンを貰ったお礼に・・・」と言いかけたところで、「お断りします。」とあっさり返されてしまった。

彼女から以前、「『ひろさん』達とは拘わらない方が良い。」とアドバイスを受けていたのだが、私はそれ程気にせず、その後も『ひろさん』達と仲良くしていたものだから、彼女は私を敵方のグループの一員と捉えるようになってしまったのだろう。

彼女の心の中では、敵味方がハッキリしているらしく、それに対して頑なになっているようだ。

これが、彼女の頑固さで、病気の一因ともなっているのだろうと思う。
まあ、私には彼女の状態を病気と断定する能力がある訳ではないのだが。



4/16(木) 10:50頃

【デイケアに通う中年の人って…?】

心地良さに浸り、4本はタバコを吸っていただろうか、その間にD棟から出てきた患者達が近くのベンチに集まり、会話を始めた。私は、何となしに、その内容を聞いていた。
どうやら彼等は、“デイケア”と呼ばれるものに通っているらしかった。彼等の歳は、見た目からして、30〜40代くらいだろうか。

会話の内容は、その場に居ない同じデイケアメンバーを嘲笑ってみたり、「あいつは何で来ないんだ。」と言って携帯電話をかけたりするようなものだった。別に普通の人と何の遜色もない様子に見えた。(まあ、強いて違いを言うなら、普通の人より幼稚に見えた。)

それについてあまり知識の無い私が言えることではないのだが、“デイケア”は、本来の役目を果たしているのだろうか?彼等は、本当に“デイケア”に通う必要があるのだろうか。ほんの数分、彼等の様子を見聞きしただけなので、無論、私の勝手な考えにすぎない。

果たして、彼等の状態は、“病気”と呼べる状態なのだろうか。

私は自分の顔面を殴り続けた時も、決して理性を失っていた訳ではない。誰もが人生幾度か通る困難だろうと考えていた。入院時に厭世的な人生観を主治医に話した時、「そういう考え方で辛くない?」と諭され、その価値観を改められるに越したことはないとは思っている。

しかし、“デイケア”で中高生のようにじゃれ合っている彼等を目にすると、やはり、私の症状は、単なる“甘え”と考えてしまい自己嫌悪を覚える。



4/16(木) 17:00頃

【患者達のタイプとその様子】

あまりプライバシーに触れない程度に、この病棟の患者達について書いてみたい。

単なる鬱病の人は、全く問題無い。極度に低姿勢だったり、俯き加減でひっそりしていたり、他者とのコミュニケーションをとらず独り言を呟いたりする程度である。

老いた年齢層の人も、それ程害は無い。症状は色々あるにせよ、例えどんなに攻撃的でもせいぜい怒鳴る程度で、暴力を振るうには体が衰え過ぎている。

困ったのは、自分の欲求をひたすら他者へ向ける質の人だ。こんな人達は、流石に皆から「あいつに関わりたくない。」と陰口を叩かれている。話している内容は朝令暮改なのに、誰かとコミュニケーションを取りたいのか、とにかく色々と人に絡んで来る。やりたい事があると、相手を捕まえ、それをせがみ付きまとう。

他のタイプで難儀なのが、その時の感情でころころと態度が変わる人。親しくしていたかと思うと、何が癇に障ったのか急に態度が変わる。

流石に、少なからずこの様な者達が居る環境は疲れる。
昨日薬を飲んでないせいだろうか。
人間関係は難しい。

なんだか疲れた。



4/16(木) 21:00頃

【夜の病棟内】

今日はちゃんと薬を飲んだ。ぐっすり眠れそうだ。

しかし、今日から薬が変わった者が多いのか?
何だか夜の薬の後、多くの者が今までと違った感じになっている事に気が付いた。
実際、『ひろさん』は薬の量が増えたと言っているし、他の物も今までより朦朧としていたり、妙に落ち着いたりしている。

昨晩、眠れずにいた結果、深夜の病棟内の状況が分かった。
私は、これまで就寝時間に、またはその前に、直ぐ寝てしまう質だったので知らなかったのだが、夜中に起きている者も随分居る。彼女等は、もう睡眠薬の効かない体になってしまったのだろう。
私も効きが悪くなってきているが、彼女等程では無い。

昨日飲まなかった分、余計に効いているのか、ただ単に疲れているだけなのか、少しフラフラしながら茶を飲みトイレを済ませると、消灯の時間を迎えた。

この感覚ならば、今日はぐっすり眠れるだろう。明日の朝のテンションが気になる。


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