鬱病生活記

 表紙
 目次
 はじめに
 第一章

 第二章

 第三章

 第四章

 第五章

 第六章

第三章 鬱病者としての日々

3.孤独に未来へ活動

<前へ> P.106 <次へ>


8月24日(月) 23:00頃 〜 翌日23:00頃

【始めての発狂、私は精神分裂か?】

結局、物件は、先週の火曜日に内見した物に決まった。
木曜日の連絡で、「光ファイバーの自室への引き込みは、大丈夫です。最悪の場合、壁に穴を開けて光ファイバーの線を引き込む事になるらしいですが、古い物件ですから、こちら(物件を管理している不動産会社)もそれに関しては承諾致しますので。」と返答を受けた私は、早速、次の日(金曜日)、午前中の2回目となるカウンセリングを終えた後、不動産会社へ駆け込み、契約手続きをした。

それから今日まで、つい先程まで、また忙しい日々が続いた。


少し長くなると思うが、その慌ただしい日々について、私が発狂しかけた8月24日(月)の19時頃までの出来事を記載しよう。(ちなみに、私は筆が遅いので、これを書いている途中で、恐らく就寝前の薬を飲み、2時間ぐらいかけて、内容を綴る事になるであろう。)



金曜日の話]  [土曜日の話]  [日曜日の話]  [月曜日の話(発狂の日)]



まずは、金曜日の話。

午前中(11時から50分間)は、カウンセリングを受けた。
私は、将来の職業について、3つ程、案があった。
その内の1つは、今すぐに動き出さなければならない物だったので、カウンセラーには、その事について尋ねてみようと考えていた。

3つの案、ここまで書かなかったのだが、面倒なので具体的に告白してしまう。
作家、農業(人手不足の田舎に行って、3食と寝床を貰うだけだけで良いから、農家に弟子入りを頼み込む。)、臨床心理士の資格を取得し精神科のカウンセラーになる。
この内の「臨床心理士の資格を取る」については、大学院に入学しなければいけないのだが、その願書の締め切りが9月上旬であったから、これが急を要していたのだ。
この回のカウンセリングの予定としては、私の生い立ちから現在までの様子をカウンセラーに伝える事になっていたが、それは止め、私は就職相談、特に「カウンセラーになる事」について、あれこれ訊ねる事になった。

「カウンセラーになる事」については、既にその立場であるカウンセラーによると、「今は、カウンセラーが増え過ぎているので、お勧め出来ない。」との事。
勿論、私だって馬鹿では無いので、カウンセラーが自分のライバルを増やすような事が損であると考えて、この様な助言をした可能性は疑っている。
しかし、「カウンセラーが飽和状態」と言う事は、多少大袈裟にだとしても全くの嘘では無いだろうし、客観的に自分を見て、焦って入学の願書を出すのも不安であったものだから、この路線は控える事にした。
また、この時、私がカウンセリングを受けた結果、「カウンセリング」という治療法について、納得し兼ねる素材が出てきた。
それは、私がカウンセリング終了時間の5分前にカウンセラーについて訊ねた事で見つかった。
「ちょっとプライベートな事になる質問ですが、あなた(カウンセラーの事)は、どうして『臨床心理士』になり、カウンセラーの道を選んだのですか?宜しければ、その動機を伺いたいのです。私も、あなたがどの様な人物であるか知った上で、カウンセリングをして頂きたいと考えているのですが。」
この様に、私が問うた事に対して、カウンセラーは、次の様に答えた。
「申し訳ないのですが、そう言った事については、カウンセリングを行うにあたって、お伝え出来ない事になっているのです。金子さんも、例えば私の年齢とか気になると思いますが、その様な事は一切、言えないのです。」
これを聞いた時点で、私は用意していたその後の問いを口にする事が出来なくなった。
それと同時に、臨床心理士が行うカウンセリングの手法について、疑念が生じた。
確かに、「カウンセラーが自身のプライベートな情報を、相談者に伝えられない事」について、想像できる理由など幾らでもあるし、納得出来るような理由も想定出来た。
客観的に他人の精神状態や心理状態を確かめる上で、カウンセラーが自身の情報を伝える必要は無い。
また、カウンセラーの体験談を話してしまって、一方的に相談者から共感を求められ、お互いの距離を縮めようと絡まれてしまっては、良い迷惑であろう。
しかしである。『相談』と言う行為をする上で、一方が赤裸々に自身の人生を語るのに、もう一方が己の事を一切明かさずにいるのは、直感的に違和感を抱かざるを得ない。
私は、「カウンセリング」という治療法に対し、「人生相談」を期待していたのだが、どうやらそれは的外れである事に気付かされた。
無駄な出費になるだけかもしれないので、カウンセリングは早めに切り上げた方が良いのかもしれない。

そんな感じのカウンセリングを終え、午後になり、私は「今から行っても良いですか?」と不動産会社に連絡をして承諾を得ると、病院からは2時間程度の道のりである不動産会社へ赴き、物件の契約手続きをした。
契約を完了するには、保証人となる父に、必要書類を添え一筆書いて貰う必要が有ったが、丁度、次の日の土曜日から月曜日まで、私の様子を窺いに両親が来る事になっていたものだから、また、保証人の件は父に連絡済みであったので、契約完了の目途は立っていた。

不動産会社のある最寄駅の立ち食い蕎麦屋で、遅い昼食を摂り、『デパス』を飲み、私はマンションへと戻った。

マンションへ着いたのは、18時過ぎであった。
転居先の目途が立った私は、早速、光ファイバーの導入を連絡しようと試みた。
NTTのホームページを覗き、光ファイバー導入の為の連絡先電話番号を見つけると、そこへ連絡。
私がお願いする要件は2つ。
1つは、勿論、転居先への光ファイバーの導入。もう1つは、現在、このマンションで使っているNTTのIP電話の番号を、転居先で使えるようにしてもらう事。
電話先の担当者は、確かに私の要望を聞き入れ理解した様子で、「導入については、ビルの管理会社へ確認する必要があるので、そちらに確認した後、再度、御連絡致します。」と言う事で話は、一旦落ち着いた。
そして、電話を切る最後に、電話先のオペレーターが自身の連絡先を私に告げた。
「受付、承りました。こちらは、販売代理店の○○○○株式会社、担当、○○です。」
それを聞いた私は、ちょっと気にかかった。
「NTTのホームページに書かれている連絡先に電話したのに、何故、販売代理店に?」
でも、申し込みは出来たのだから支障は無いと思い、この時は些細な事と思い、やり過ごしていた。しかし、これが後々面倒な事になるとは…。

その販売代理店からの「再度、御連絡致します。」を待ちながら、一息ついていると、その「御連絡」は、直ぐにあった。
販売代理店が確認を取る「ビルの管理会社」とは、私が「光ファイバーが絶対条件」として要望してこの日の午後に訪問し契約をほぼ終えた不動産会社であったから、時間などかかる筈も無いのである。
販売代理店は、「管理会社の確認が取れましたので、工事予定日を調整いたします。明日になると思いますが、再度、御連絡致します。」との事であったので、私は、何時でも連絡が貰えるように携帯電話の番号を担当者に伝え、最後に念を押して、2つの要望が確かに「承れている」事を確認した。

しかし、私は、まだこの日にやり終えたい事があった。
それは、前ページで触れたCPUの熱暴走の件である。
CPUを予備の物に取り換え、ほぼ安定して動いていたのだが、同じパソコンでDTMを行っていて、CPU能力の不足のせいであろう、作った曲の再生中に雑音が入るようになってしまっていた。また、取り替えたCPUでもソフトを多重起動させると熱暴走することが発覚したので、新しいCPUファンを購入して取り付ける作業を行う事にした。
19時頃であったろうか、近く(と言っても自転車で片道20分程度)のパソコンショップまで行き、とにかく高性能のCPUファンで、規格に合う物を購入した。
レジに向かう前に、「地上デジタル放送チューナー」があったので、「転居先ではこれを使おう。」と考え、半ば衝動買いで、それも買った。
マンションへ戻り、早速CPUファンを取り出してみる。
「デカイ…。」
「高性能のCPUファンは、ここまでデカイのか。」と思いつつ、パソコンに装着できるか確認してみた。流石に、このパソコンには大き過ぎて、取り付けられない事が判明した。
再度、PCショップへ行き、今度は、予め図っていたサイズを元に、取り付けられるCPUファンを買った。
早速、CPUファンを取り付け、利用してみた。
今までは、OSを立ち上げるだけで殆んど何もしていなくても、70度ぐらいの熱を持っていたCPUが、10度くらい下がっていて、それなりの効果が見込まれた。
ちなみに、私が使用しているCPUの規格上、動作保障されている上限値は70度であると、定かでは無いが耳にした事がある。
このホームページ作成ソフトを利用していても、70度以上に上がる事は無いので、「これで良かろう。」と胸を撫で下ろした。
(しかし、このページを書いている最中に、今のところ3回、熱暴走らしき感じで、パソコンが突然落ちてしまう。温度計ソフトを立ち上げながら、常時監視して70度まで行く時は殆んどないし、落ちる時は、作業中でなく何もしていない時に起こるから、問題はCPUでは無いのかな?CPUの寿命か?CPUの寿命で壊れたなんてあまり聞いた事が無いけれど・・・?)

ここで金曜日の作業が終わった訳では無い。
「若干衝動買いした、『地デジチューナー』があるのだから、ちょっとこれを使ってみよう。」
そう思い、倉庫に眠っていたブラウン管のテレビを使用し、始めての「地デジ体験」をしてみた。
ちょうど、政見放送の時間だったので、これまで使っていたアナログ放送のテレビと、地デジのテレビのを両方点け、この日の夜は、楽しんでいた。
やっぱり、アナログと違って、放送内容に若干の(2〜3秒)程度、地デジが遅れて放送さえっる。二重に被る音声を聞きながら、面白がって観察していた。
その内、「はて?、地デジの時間表示も遅れるのか?」と前々から疑問に思っていた事を確かめるべく、地デジの表示される時刻と、恐らく正常である電波時計とのタイムラグを午前0時の瞬間に計ってみた。
やはり、地デジの時間表示は、2〜3秒遅れている感じだった。

これで、金曜日に出来る事は、ほぼ終えた。
私は、その日の夜に郷里を出立する両親に「明日は、何時頃着くのか。」と訊ねる位で、この日は、平穏に眠りについた。

(先ほど飲んだ、就寝前の薬と『デパス』のせいで、眠くなった。以下は、明日書き足す。)



金曜日の話]  [土曜日の話]  [日曜日の話]  [月曜日の話(発狂の日)]



土曜日、いつも通り11時頃床を這い出た私は、転居先へ移動する準備を始めねばならなかった。
この日は、転居先のドアの「鍵の交換」の為、作業員が13時頃に来る事になっていた。
その時間に合わせ、支度をし、私は自転車で転居先へ向かった。
両親がこちらに着くのは、どうやら、同じく13時頃であるらしかったので、私は、転居先へ自転車で向かい、「鍵の交換」を待ちつつ、「住所は伝えてある物の、ちゃんと両親が転居先に到着できるか」を気にしつつ、転居先に居た。
「鍵の交換」の人は、時間通り来てくれて、早速交換をして貰う。
鍵の件は、滞りなく終わり、作業員が出て行った後、両親から電話が入った。
「カーナビに住所を登録し、その付近まで来ているのだけれども、どうも場所が分からない。外に出て居てくれないか。」
こう連絡を受けた私は、早速、転居先のビルの前にある、少し大きな通りに出て待機していた。
それから、数分後、また、私の携帯電話が鳴った。連絡してきたのは母である。
「ごめん、カーナビの住所登録が間違っていた。今セットし直したので、そちらに向かう。」

それから、また数分後、両親は、無事に表に出ていた私を見つけ、転居先の場所を確認する事が出来た。

両親に転居先の様子を見せ、これからこの部屋に施す作業のあらましを伝えた。
この部屋に施す作業とは、フローリング主体である部屋には、フローリングを傷つけないよう「クッションフロアー」を敷くこと。さらに、猫を飼う予定なので、猫が壁や柱が傷を付けられない様に、柱にはプチプチを巻き、壁には100円ショップで売っている30cm四方のパズルのようなクッションである程度の高さまで敷き詰める事、であった。

両親が滞在するのは、月曜日の夕方まで。私の中では、今日と、明日の2日でこの作業を終えようと考えていた。
部屋の内部の様子を見た母は、「一度、塩素系の洗剤で拭き掃除した方が良い。」と私に提案した。私は、それを承諾し、一旦、現在居住中のマンションに戻り、掃除等に必要な道具を持ち出した。
「掃除は私がやる。」と言う母を、転居先に置いて、私と父は部屋の簡易改装に必要な素材を買いにホームセンターへと向かった。
この日、土曜日の目標は、クッションフロアーのセッティング。
私の経験上、クッションフロアーのセッティングは、意外と面倒臭くて、繊細な作業である。
部屋の床が真四角なら問題ないが、転居先の古いビルがそんな筈は無く、部屋の角には梁が有ったり、襖の部分には柱があったりで、細かい調整が面倒なのだ。
とにかく、予め部屋の寸法は計っていたので、ホームセンターで必要な分のクッションフロアーを購入し、また、合鍵を作って貰ったりして、転居先に、私と父は戻った。
この時、時間は、既に15時頃であったろうか。
私と父が、転居先に戻った時、母は、粗方掃除を終えていた。
早速、私は、母に手伝って貰いながら、クッションフロアーのセッティングを開始した。
転居先は、古いビルながらも、鉄筋コンクリートの建物であったので、この時期の部屋の中は蒸し暑い。父はそれが体調に合わないらしく、色々と愚痴を零していたので、作業には邪魔だと思い、「外で待っていたら。」とか「もう、あっちのマンションで休んでいても良い。」と伝え、この場を離れて貰うように促していた。
そして、クッションフロアーを整え始めたが、開始早々、長い定規と、90度角を測れる定規が必要な事に気が付いた。
また、「壁はどうするの?」と訊ねる母に、「100ショップのパズルの様なクッションを敷き詰めるつもり。」と私が答えると、母は「あれは駄目よ。段ボールで良いじゃない。」と言われた。母の案には半信半疑ながらも、あまり考えず、母の言う事に従った。
そこで、部屋を出たり入ったりしている父を捕まえ、再度、買い物等に行く事にした。
この時、電燈とガスコンロは、早めに買っても問題ない、と言うか、電燈に関しては、暗くなってからでも作業が出来る様に、今日買った方が良い事に気付いた。
母は、もう少し掃除をしておきたいとの事であったから、父と共に私は、出かけた。

丁度、その頃であった。前日連絡していたNTTの販売代理店から連絡があった。
担当者は変わっており、要件の確認を始められた。
すると、私が確かに要望した筈の「電話番号の移転」について、電話先の担当者は、全く理解していない様子だった。
結局、「確認して、また、連絡致します。」と言われ、この電話は終了。
何も進展せず、また、この日、そこから再度電話がかかって来る事は無かった。

そんな車中での電話を終え、まずは、1件目のホームセンターへ行き、定規を買った。そして、そこで電燈とガスコンロの値段を確認。
次に、近くの家電量販店へ行き、段ボールを貰った。ただ、貰うだけなのも申し訳ないと思い、電気屋内に何故か存在するドラッグストアーのフロアで、トイレットペーパーとティシューを買った。これも、有るに越した事は無いと思い。
また、家電量販店では、電燈とガスコンロの値段もチェックし、先ほどのホームセンターの方が安い事を確認した。
更に、別のホームセンターへ行き、段ボールを貰いつつ、電燈とガスコンロの値段を確認。
結局、電燈もガスコンロも、このホームセンターが一番安かったので、ここで購入。
そんな買い物を終えて、私と父は、転居先へ戻った。

色々出回っている内に、日は落ちていた。時刻は、既に19時頃だっただろうか。
部屋の中は薄暗い。
「まずは、電燈だな。」と決心した私は、電燈の取り付け作業にかかった。
普通なら難なく設置出来る筈が、どうも、天井の取り付け器具と、電燈側の取り付け器具が、中々噛み合わない。
少し、力を入れ押し込みながら回すと、「バキッ」と言う音とともに、何かが壊れてしまった。
見ると、天井側の取り付け器具のプラスチック部分が欠けていた。
「マズッた。」と感じつつも、何故きちんと噛み合わないのかを把握する為、お互いの器具の様子を確認したり、電燈の説明書を読んだりしてみた。
説明書によると、天井側に取り付けられている、ある種の型には対応していないとの事。
同じ、長方形の形で、電流を通す金具の位置も変わらないのに、天井側の器具には、2種類の物が存在する事を私は知った。
「成程、この物件は古いので、天井側の器具が駄目なんだな。」
この様に、状況が分かれば、計画変更である。
クッションフロアーのセッティングは翌日にし、この日は、ここで作業終了。
そして、明日の早朝、ホームセンターへ行き、天井側の取り付け器具を買い、無免許電気工事をする事にした。

この事を、両親に伝え、転居先の室内を簡単に整理した後、一旦、現在居住中のマンションへ戻った。
私は、汗だくだったので、まずシャワーを浴びた。
それから、両親と「夕食はどうする?」と言う話になり、近くのファミリーレストランへ行く事になった。勿論、喫煙可のファミレスである。

土曜日の夕食時間帯だと言うのに、行き着いたファミレスは案外空いていた。
私は、タバコを吸いながらメニューを早々と決め、母も決まったらしいく、父がメニューを決めるのを待っていた。どちらかと言えば、父は、この様な選択に時間がかかる方だ。
父もメニューが決まると、早速、注文をする。
それから、食事が運ばれてくるまでの間、私は向かいに座っている両親に対して、非常に流暢に現在の自分の状態やら、主治医の判断状況やら、この前から受け始めたカウンセリングの事やらを話して聞かせた。
「両親が今回こちらに来た目的は、私の様子を見る事。」と、私自身が意識していたせいかもしれないが、この時の私は、非常に饒舌であった。
傍から見ると、何の異常も無い、“うつ”等と言う状態とは懸け離れた様子であったろうし、私自身もそう感じていた。

食事を終え、両親は満腹感を得て、私は十二分に喫煙できた事に満足し、現在居住中のマンションへと戻った。(余談であるが、父は、禁煙を始め1ヶ月経ったところだと言う。何でも、近所の老人が肺気腫になり、車椅子でチューブを体に入れている生活状態を見て、「自分もあの様になったら嫌だ。」と思い、タバコを止めているらしい。歳を取り、何れ必ず訪れる“死”が近くなると、人の言う事を素直に聞かない私の父でも、色々と考えるらしい。)
マンションへ戻ると、両親は、早々と寝る支度を始めた。
前日の夜中、父と母、変わり変わりではあるが、長距離運転をしてきていたので、大分疲れていたのであろう。22時頃に、両親は眠りに着いた。
そんな両親とは反対に、私は、別室でテレビを点け、政見放送なんかを眺めながら、ボーッと過ごしていた。
テレビ番組もつまらない物になり、仕方が無く、いつもより早く(と言っても、23時半くらいだったのであまり変わり無いが)、就寝前の薬を飲み、床に着いた。
床に着く時、音楽を聴いていると直ぐに眠る事を発見していた私は、ヘッドホンを着け横になっていた。そして、予想通り簡単に、この日は眠りに落ちた。



金曜日の話]  [土曜日の話]  [日曜日の話]  [月曜日の話(発狂の日)]



翌朝、日曜日。
一番最初に動き出したのは、私だった。
床から這い出て、冷蔵庫にアイスを取りに行ったりしていると、両親も起き出した。
時刻は、9時頃だったと思う。
私は、いつもの餡パンで朝食を済ませ、両親は、何やら用意していた食材を使い、朝食を採った。
まず、この日は、ホームセンターで電燈の天井側の器具を買い、未免許電気工事を行い、電燈をセットする。そして、昨日予定していた、クッションフロアーをセッティングする事にしていた。

電燈の件は、難なく終了。天井側の器具なんて、100円もしない物だから、こんな工事を態々電気屋にお願いするなんて馬鹿らしい。電気について、中学生程度の知識があれば、こんな作業は、余程の不器用者でなければ誰でも出来る。

電燈が点く事を確認し、私と母は、クッションフロアーのセッティングに取りかかった。
父は、この部屋の蒸し暑さが体に合わないし、車を駐車違反状態で停めて置くのも何だから、現在居住中のマンションで待機してもらう事にした。

クッションフロアーの作業を開始して、半分くらい終わると、時刻は13時頃であった。
そろそろ、昼食時なので、父を呼び、近くのファミレスへ3人で入った。
前日の晩と同じく、この時の私も饒舌であった。
これからどんな仕事を選ぶかなど、考えている事を色々と話した。
また、父とは株だの為替だのの経済情報についても、談義をした。
私は、傍に父や母が居ても、以前ほど、その存在が気にならず、寧ろ、会話をする事で満足出来ているように感じていた。

昼食を終えると、また、私と母はクッションフロアーの作業へ戻り、父も快適なマンションで待機する事になった。

クッションフロアーの作業が終了したのは、17時頃であったと思う。
クッションフロアーが整えば、次は、壁についてである。
私は、猫が爪を立てて傷つけない程度の高さまで、何かで覆っておきたかった。
そして、前日に母より提案のあった段ボール作業に移った。
作業を始めるにあたって、母は、「まず段ボールを拭く」と言って、雑巾で段ボールを拭き始めた。

私は母の作業を見ながら一休みしていると、、昨日無駄な連絡を遣したNTTの販売代理店から電話が入った。
出ると、また担当者が変わっている。そして、また要件を確認させられた。
更に工事日の話になると、販売代理店は「ビルによっては、光ファイバーを引き込めない可能性がある。工事日に現地に行って見てからでないと、それについては判断出来ない。」と言いだした。
これを聞いた私は、当然の如く、驚いた。
この物件を借りる絶対条件とし「光ファイバーを導入できる事」としていたからである。
これについては、販売代理店に言っても埒が明かないので、この電話は一旦打ち切り、私は、不動産会社に連絡することになった。
今回、お世話になている不動産会社は小規模な所なので、内見前の連絡時、内見の時、契約に行った時、全て取締役店長との肩書の方と会話をしていたので、話は通りやすかった。
「光ファイバーが引き込めないかもしれない。」と聞いて驚いた私が電話をして、それに出たのも取締役店長の方であった。
私は、「販売代理店から、光ファイバーを引けない可能性があると言われた事」を告げると、電話先の取締役店長は、非常に明快に、率直に意見をくれ安心させてくれた。
その方の回答内容は、主に次の様な内容だった。
「販売代理店は、リスクを負いたくないだけ。私も、『法人は現地調査をしてから光ファイバーが引けるかどうかの有無を確認するのに、何故個人ではそれをやらないのか』と問いただしが、明確な回答をしなかった。要は、販売代理店だから、利益が少ない個人に対しては現地調査の手間を省いて経費を浮かせたいので、現地調査をせず直接工事するまで明確な回答をしないのだと思う。管理会社であるこちらでは、壁に穴を開けて光ファイバーを通す事も了解してますので、大丈夫です。」
成程、私が申し込んだ時に少し気にかかった「販売代理店」が癌なのである。(NTTの申込先ホームページに堂々と電話番号を載せているのだから、NTTも同罪だが。)
結局、この日、改めて販売代理店から連絡があった時、販売代理店は私に「『0120−116−116』の方に電話をして確認して下さい。」と言った内容の事を口にした。
つまり、販売代理店からしてみれば、私は面倒な客なので、取り合いたくない。NTTに直接申し込んでくれ。そう言いたかったのだ。
勿論、電話で話している時の販売代理店の言い方は、間接的に遠回で面倒な説明の仕方だったが、私も特別怒る事も無く、紳士的に振る舞った。
結局、この日、改めてNTTに直接申し込むこととなり、現地調査の予定日が決まった。
ちなみに、販売代理店が、最後の確認の為に電話をしてきた時、私が「『0120−116−116』から申し込む事にしました。」と告げると、担当者は、「そうですか。では、今回、弊社に申し込んで頂いた件はキャンセルと言う事で。」と安堵した声色で答えていた。
私は、当然、電話先の担当者に怒る気など起きない。彼・彼女等の仕事環境がどの様な物であるか、同じような業界で働いていた私には良く分かるからである。
昔と違って、アナログの電話回線開通申し込みとは違い、今は、色々な技術が使われ、色々なサービスが設定されている。こんな物をちゃんと理解するには、それこそ、情報処理分野の通信関係知識が多分に要求されるのだ。
しかし、コールセンターで働く人で、その様な分野の知識も身に着けている者など殆んど居るまい。本当は、その知識を会社側が教育すべきなのだが、そんな会社など今の日本にどれ程あろうか。「勉強は自分でしろ。」、「スキルを高めるのは自分次第」、「スキル向上は自分の為だから、当然、プライベートの時間を使って行う物」、こんな考え方が蔓延しつつある現代の日本社会に着いて行ける者が、いったいどれ程居るのだろう。

さて、この日の作業だが、予定していたクッションフロアーのセッティングは終わったので、母が主導する段ボール壁作業を手伝う事になった。
段ボールを濡れ雑巾で拭いていた母は、「段ボールに印刷されているインクが壁に移るかもしれない。」と言うので、急遽、段ボールに白い紙を張る事になった。
段ボール作業については、母任せにしていたので、白い紙と接着剤を買う為、母は父を呼び出し買い物に行く事になった。少し疲れを感じていた私は、買い物には付き合わず、各部屋の電源ソケットが正常かどうかをチェックしたり、始めからあった部屋の傷や汚れを写真に納めたりしていた。

母と父が戻って来ると、母は、早速、段ボールに紙を張り付ける作業を始めた。
私は父と、買い物に出かけた。
実は、「私が買ったガスコンロが安かったので、実家の分も買ってきてくれ。実家のガスコンロもそろそろ取り替える必要がある。」との事を母から頼まれていたのだ。
日も沈み、暗くなった19時頃、私と父はホームセンターへ向かい、ガスコンロを購入した。
そして、転居先に戻り、多少母を手伝いながら、時間を過ごした。
すると、部屋の光を求めて、網戸から小さな虫が入ってきている事に気が付いた。網戸の網目を確認すると、かなり大きめの物もであった為、もっと目の細かい網戸に張り替えようと、両親と共に話した。
私は、網戸の張り替え等した事は無かったが、母に経験があるとの事で、明日、網戸の張り替えを行う事にした。

その後、私は次第に疲れを自覚し始めた。
「そろそろ、終わりにしよう。今日の予定のクッションフロアーの作業が終わったんだから。」
そう母に促して、転居先を離れる事になったのは、20時半ぐらいであった。
帰りの車中、私は母と「段ボール壁」について話をしていた。
すると、前日「あれは駄目よ。」と母が私に忠告した物が、私が考えていたものと違う事が発覚した。
早速、私は現物を母に見せなければいけない。そして、私の当初考えていた方法の方が良いのではないかと、思い始めていた。
そこで、閉店時間前ギリギリである100円ショップへ車の進路を変えるよう、運転している父に告げた。
100円ショップに着くと、母を連れ、現物を見せた。
母は納得した様子で、「こっちかと思っていた。」と薄手のカーペットタイプのパズルのような敷物を指差して言った。
私は、母の助言が的を得ていなかった事を認識すると共に、自身の方法を試したかったので、目的のパズル式のクッションを、1つの壁面の分量として必要十分な枚数を計算し、結果、20枚購入した。

これで、明日の予定としては、母は「段ボール壁」の続き、私は自身の考えていた方法の実施、また、網戸の張り替えとなった。
それと、ガス開通を確認をする為、ガスの管理会社へ連絡をする事。

この日の夕食は、マンションにあるもので済ませる事になった。何せ、まだ作り置きしているカレーが残っていたので、それを3人で食べても良いと考えていた。
しかし、私の夕食は、スイカとなった。
両親は、こちらに来る時に、スイカを一玉持ってきていたのである。
前日、「食べるか?」と母に聞かれた時、私は「食べる。」と答えていたので、スイカは半分に切られ冷蔵庫に仕舞われていた。
それを食べる必要があったので、私は、母が切ってくれたスイカを只管食べ、お腹を膨らませた。両親も、少しは食べたが、半玉分切られて用意されたそれらは、殆んど私のお腹に納まる事になった。
両親は、他にも野菜等を持ってきていたので、それらとカレーライスで夕食を済ませた。


そしてこの晩は、いつも通り0時過ぎに就寝前の薬を飲み、その前後の時間は、暇つぶしのテレビゲームを一人でしていた。



金曜日の話]  [土曜日の話]  [日曜日の話]  [月曜日の話(発狂の日)]



そうして、月曜日。この日は、両親が帰る日。
母が、7時頃だったろうか、その前からなのか、台所を中心に、色々と動き回っていのに気付き目が覚めた。
私は、目が覚めても体が重いので、横になって目を瞑ったまま、様子を音で確認していた。

母は、朝食を終えると、父を起こし転居先のマンションに行って、昨日の作業を続ける事にしたらしい。
両親が出て行き、間もなく、「そろそろ起きなければ。」と考え、私は重い体を起こし、いつもの餡パンで朝食を摂った。
朝食を終え、テレビを見ていた時に、父が戻って来た。
父は朝食がまだであったらしく、私に「朝食は摂ったか」と確認すると、自身の食事を始めた。
私は、「自分も転居先で作業をしたいから、食事を終えたら連れて行ってくれ。」と父に頼み、父が食事を終え一段落するのを待っていた。

その間、「ガス管理会社への連絡」の要件を思い出し、電話でガス開通の連絡をした。
連絡の結果、この日の10時頃に作業員に来て貰う事となり、予想外に早くこの要件が片付く事に安堵した。

父が一段落し、私と共に転居先に着いたのは、九時半頃だった。

母は、昨日の作業の続きに没頭していた。
何ヶ所か「段ボール壁」が完成しており、私もその出来栄えに満足感を覚えた。
母は、この作業で必要になった物があるらしく、また、網戸の張り替え用の道具と網を購入する為、父と共に買い物に出かけた。
私は、ガスの作業員が来るのを待ちつつ、自身の「パズル式クッション壁」の作業を始めた。
すると間もなく、予定より早く、ガスの作業員がやって来た。私がその立会いをしている間、両親は買い物から戻って来た。
ガス開通の作業が終わると、一通りの書類手続きを終え、問題なくこれは終了した。

後は、壁作業と網戸の張り替えである。
この日の夜は、両親が車で長距離移動をしなければならない。
主に運転する事になるであろう父は、今の内に休んで貰いたかったし、特別必要な作業も無かったので、マンションに戻る事になった。
私と母は、それぞれの作業を行い続けていた。
私の作業は、意外に早く終わり、時刻は13時頃になっていた。
反面、母の作業は時間が掛る様で、まだ、完成の目途が見えない。
丁度その頃、父が、こちらにやって来た。
これから、昼食を摂りに行くとの事だったので、私も一緒に行く事にした。
母は、作業に没頭したい為か、昼食は必要無いと言う。
私と父は、父の希望する蕎麦屋に行く事になった。
蕎麦屋で私は、一服すると共に、父に「今日は、何時頃出発しなければならないのか。」と聞いた。
すると父は、「20時頃で十分。」と答えた。
しかし、私の中では、なるべく余裕を持って、出立して欲しいとの思いが掠めていた。
時間に焦って事故を起こすような結果にならない様に、十二分に余裕を持って欲しかった。

昼食を終え、私は転居先へ、父はマンションへ戻った。
転居先では、まだ、母が作業を行っている。
私は邪魔にならない程度に、母の指示に従って作業を手伝う事にした。
一通り「段ボール壁」に白い紙を張り終えると、接着剤が乾く時間を利用して、網戸の張り替え作業を行う事になった。
母が、私に説明しながら網戸の張り替え作業を始めた。
私は説明を受けながら、張り替えの要領を覚えた。
最後の仕上げの作業は、私にも出来る感じであったので、私はそれを担当し、母はまた「段ボール壁」の作業に移った。
網戸の張り替えも終了し、時刻を確認すると16時頃。
母の作業は、まだ時間がかかるようであった。

作業を終えた私は、テレビを設置し、それを見ながら時間を潰していた。

暫くすると、私は母の作業について、愈々気掛かりになって来た。
「両親には、17時ぐらいに出立出来る様にして欲しい。」
そう思っていたのだが、既に時刻は18時を回っている。
父は、「20時頃で十分。」と言っていたので、その言葉を私自身に言い聞かせ、私は落ち着こうと努めていた。
その時、父が、転居先の方へやって来た。
20時頃出立と言う事であれば、両親は、そろそろ帰る準備を始めなければならない。

母はまだ「段ボール壁」の作業中である。
私はこの日、母の作業を手伝いながら、「こんな作業をさせて大丈夫か?」と何度か聞いたのだが、母は「私は器用な方で、また、こういう作業も好きだ。」と言っていたので、この時間まで作業をすっかり母任せにしていた。
だが、何故か私は、勝手に焦りを感じていた。
私は、母の作業を見兼ねて、「もう良い。そこの壁面の段ボールには紙など貼らなくて良いでしょう。その段ボールには印刷されたところは無いし。」と言って、母が形を整えた段ボールを壁にはめ込む作業をし始めた。
母が作ったその「段ボール壁」は、予定していた場所に対して、やや幅が広かったので、私は、その「段ボール壁」の幅を狭める為、カッターで端の部分を切ろうとした。
すると母が、「それぐらいの差なら、金槌で叩いて押し込めば大丈夫」と言って、それを無理にはめ込もうとしだした。
壁の両端には、木の柱の出っ張りがあり、それを利用して、「段ボール壁」をはめ込むのだが、無理にはめ込もうとすると、柱の方に傷が付く。
私が、この様な内装を行う一番の主旨は賃借物件に傷を付けない為である。
それが念頭にある私は、慌てて母の行動を阻止した。
そして、先程母がはめ込んだ壁面の柱を確認すると、無理に段ボールを押し込めた為に出来た傷が、柱に付いていた。
私は、「何しているの。傷を付けたら本来の意味がないじゃない。」と、母に怒鳴ってしまった。
冷静に考えれば、この賃借物件など、元々柱には画鋲の穴や汚れが幾つもあったので、母が付けた傷など大した物では無い。それは、その時の私でも理解は出来ていた。
そして、「猫を飼う」事は事前に話を通しているし、不動産会社も「もうこの建物古いから。」と雑に扱われる事も考慮している様子だった。大体、「猫を飼う」と話を通している時点で、大家さんも不動産会社も、どの様になるかは織り込み済みである物だ。あまり過敏に気を使う必要も無いのである。
その様な事も、私は理解していた。

しかし、私のそんな考えとは別に、胸の中から不穏な気配が込み上げて来た。
私は、それを抑えつつ、「段ボール壁」の端を切り落とし、自然に壁にはまるように整える作業をしていた。
時刻は、何時頃だっただろう。
私が、如何し様も無くなり始めた時、日の光は完全に消えていなかったように記憶している。19時前、18時半頃だっただろうか。
私は、「段ボール壁」の調整を終えると、発作的に暴れだしたくなったのである。
何かを思い切り蹴飛ばす、または、ぶん殴る。そんな事をさせようとする気配が、胸の内から込み上げてきた。
私の理性は、それを何とか抑制し、胸の前で、左の掌に、右の拳を思い切り叩きつけるという行為で、始めは堪えた。
それから私は、落ち着きなく部屋の中をうろうろする。
暴れたい衝動は、まだ、納まらない。それどころか、段々と強くなって来る。
視界に入る窓や壁を思い切り蹴り飛ばしたい、殴りつけたい。
それを何とか抑えつつ、頭を抱えながら、落着き無くうろうろする。
そうしている間、理性による抑制が瞬間的に崩れ、私は、つい「ウォーッ」と、押し殺してはいるが大きく、そして、おどろおどろしい声色で叫んでしまった。
この時始めて、両親は、私の変化に気付いた様だった。
どんな顔で両親が私を見たか。そんな事を確認できる余裕など、その時の私には無かった。
しかし、両親の様子が一瞬にして変わった空気は、肌で感じ、そして、理解した。
一瞬崩れた理性は、なんとか体制を立て直し、叫んだ後直ぐに、開けていた窓を閉めるように私を動かした。
「転居してきたばかりの部屋から、喚き声が聞こえた。」等と、付近の住民が考えてしまっては非常に宜しく無い。私の頭では、その様に考えられる理性は残っていた。
母の作業は、ほぼ終わっていたので、両親は、私の変化を察知するや否や、出立の準備を始めた。私に気遣って、無駄な問いかけはしないで、「じゃあ、帰る準備をするから。」といった具合に、必要最小限に、そして、私が答えなくても済むように声を掛けてくれていた。
私は、両親が出立の準備を始めている中、再び、頭を抱え、うろうろ動き回るしか無かった。
暫く動き回っていると、眼鏡が邪魔に感じ、それを、適当な所に放り投げる。
理性は、胸の中から込み上げる「投げつけたい。」という衝動を制して、放り投げる様に促した。そして、頭の上にある手を、瞼に移動させ、視界を塞がせた。

どの位の間、そんな事をしていたのだろう。
漸く、理性が行動を制御出来るようになり、胸の中の衝動は、私の呼吸を荒くさせ、心拍数を激しくするだけの能力しか無くなった。
「私は自転車があるから、それでマンションに帰る。父さんと母さんは、ここを引き上げる準備が出来たら、向こうのマンションに行って、荷物を纏めて出立して良いから。」
父か母かは定かでないが、私はそう告げると、ベランダに出て、一服した。
この時、既に日は暮れ、外は暗くなっていた。

一服を終えると、呼吸も整い、私も戻る支度をした。
必要な物を纏め、電気を消し、ガスの元栓を締め、部屋を出て鍵を閉める。そして、自転車に乗り、マンションに向かった。
自転車を漕ぎだして数十メートル過ぎたところで、両親の車が私を追い越すのを確認した。
途中、私は、コンビニに寄りアイスを買える程、外見上は回復していた。

マンションに戻り中に入ると、私の帰りを確認したかったのであろう、母が最後の手荷物つを床に置き、立っていた。
そして、母は私が部屋に入るのと入れ違いで、荷物を持ち玄関へ向かった。
私は、持っていた自分の荷物を部屋に置き、玄関先で両親を見送った。
父も車から降り、玄関のところまで来ていた。
父は、「じゃあ、体に気を付けて。」と私に言い、私も心では「気を付けて帰ってね。私の事は心配無いから。」と思いつつも、「うん。」と頷くのがやっとだった。


こんな状態になったのは、生まれて初めてである。
この感覚は、私が入院前に自分で自分の顔を殴った時、また、衝動的に大量服薬して自殺を計った時とも違っていた。

実は、胸の中の衝動を抑え、「ウォーッ」と叫ぶ前後に部屋の中でうろうろしていた時、私の理性は、その衝動を抑える事とは別に、私自身の状態をなるべく客観的に分析していた。
「これは、入院中に幾人かの患者が行った行為に酷似している。ここで、私が胸の中の衝動に任せて行動すれば、『統合失調症』と診断された者達と全く同じ行為として、第三者の目に映るだろう。」

前にも書いたが、『統合失調症』と診断が下る前に、多くの患者が『鬱病』とか『躁病』とかの診断を下されている。
『統合失調症』と言う物は、体の病名で例えるなら『心不全』と同じようなものだろう。
つまり、原因は分からないが、とにかく、結果として、その状態に陥った。

精神分裂。
その一端を私は体験していたのかもしれない。



金曜日の話]  [土曜日の話]  [日曜日の話]  [月曜日の話(発狂の日)]




ところで、私は、やはり見積もりが甘い。自分を過信してるのか。
この内容を書き終えるのに、8月25日(火)に流れる時間の殆んどを費やしてしまった。最初の見積もりは、2時間と書いてある通りだが、結果は12時間程掛かってしまった・・・。


<前へ> P.106 <次へ>