鬱病生活記

 表紙
 目次
 はじめに
 第一章

 第二章

 第三章

 第四章

 第五章

 第六章

第一章 精神障害発生(鬱病)

4.精神病院の中

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【『気ちがい』呼ばわりについて訂正とお詫び】

さて、これまで、同じ仲間の患者達を『気ちがい』と表記し続けてきたが、ここで、改めて陳謝せねばなるまい。
彼女らは決して俗にいう『気ちがい』ではないのだ。
そう言ってしまうと、誤解を与え、彼女らを侮辱することになってしまう。
(尤も、『気ちがい』とはどう判別するのか等、曖昧で、人それぞれの事なのだろうが。)

しかし、ここまで敢えてこの様に表記してきたのは、私の中で誤解や侮辱を含め彼女らをそう見ていた自分自身が少なからず存在したからである。
この『ひろさん』との出会いまで、私は、彼女らに偏見をもって軽蔑していたことを告白し、謝罪したい。そして、今後の文章では、彼女らに対して『気ちがい』という表現を使わないことを約束する。

彼女らの多くは(決して皆がそうだとは言わないが)、天才的な何かをもてあましている。
それが、社会的になじまず、苦しんでいるのだろうと推測する。
何か表現する手段、例えば絵や音楽やダンスなどに彼女らが長けていたのならば、“天才”と呼ばれるような形で、世に出ていたのかもしれない。
実際、彼女らの中に、今後出てくる隠れた天才がいるのかもしれない。
そう思われるくらい、浮世離れした感性を、ここの患者達の多くは備えている。
この病棟での生活を経て分かったことなのであるが、ここの多くの者は、周りの事に非常に敏感だ。
大して会話など無いのだが、他者の動きをよく観察している。
医師や看護師やケースワーカーなど、ここで働いている者たちに対しても、また、患者達の間でも、「あの人はどういう人か」というのを各々直感的に感じ取って、気を使っている節がある。


ただ、変な憧れを持た無いように言っておく。
“天才”自身は、決して幸せとは限らない。
例え、世に称えられ、「あの人はすごい。」と言われようとも、本人が感じていることは、本人しかわからない部分がある。
誰にも分かってもらえないものがある。
それを、うまく表現し、他者から絶賛されたとしても、それで本人が満足するか否かは別だ。
なまじ浮世離れした感性など持たないほうが、この世は生きやすい。
それが、今の私の心境だ。

私が入院時に受けた診断で、父親と離れる為に入院させてほしいと唸りながら書いたメモを主治医に見せた時、こう言われた。
「こんな考え方で生き難くない?」
私は、「はて、なんて変なことをいう人だ。この世は生き難いものでしょう。」と思ってたので、当然、「とかくこの世は生き難いもの。」という人生観を主治医に伝えた。
すると、「確かに人生観は人それぞれだから、それが正しいか間違っているかなんて決めつける事ではないのだけれど。」と主治医は言うものの、どこか納得いかない様子だった。


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