鬱病生活記

 表紙
 目次
 はじめに
 第一章

 第二章

 第三章

 第四章

 第五章

 第六章

第二章 精神病院での入院暮らし

3.精神病院から脱走

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【人の所作が気になる、一人で居たい】

次の日、5月2日(土)、仕事が休みになる母が、私の様子を見に上京してきた。

しかし、私には母と会う事で得られる物は無かった。
話相手が居ない分、ある程度会話はしたのだろうが、どちらかと言えば、母が私の様子を聞いて、私はそれに答えると言うだけのものだったと思う。

そして、母が傍に居る事が何故だか苦痛に感じられた私は、今日の寝泊まりは、兄の家でしてもらうように頼んだ。

とにかく、一人で居たかったのだ。
こんな事を言ってしまえば、どこか親不孝な感じで気が重いが、所詮母も他人であり、私の気持ちを理解してくれる存在にはなり得ない。
それでけに、逆に傍に居られると、気苦労が絶えない感があったのだ。
私には母の言いたい事が良く分かるのだが、反対に私が言う事を母は理解し兼ねていた。

これが私の病気の症状なのだろうか?
“孤独”と言うのとは、明らかに違う。
決して、一人でいる事が寂しい訳では無い。
寧ろ、一人で居たいのだ。
周りで誰かが、特に赤の他人では無く私の知っている人物が、私の五感で感じる場所の存在すると、それが気になって困るのである。

その人の視線を見れば、「視線の先にある物について考えているのだろう。」とか、その人物が動き出せば、「その先にある場所に用事があるのだろう。」とか、その人物が声を上げれば、「何故そのような事を言うのか。」などを瞬時に感じ取り、分かってしまう。(正確に言えば、分かったつもりになっているだけである。)

要するに、気を取られてしまうのだ。
何故そのような事をするのか、私の頭が勝手に思考をめぐらせ、結論づけ、それが私に関わる事であれば、何かと“ウザい”のだ。
同じ空間に居る場合、当然、ほとんどの事が私に関わる事だ。
例えば、ただ単に立っているだけだとしても、その付近に私は幾らか配慮して動かなければいけなくなる。

“普通”の時だった頃は、こんな風に感じたりはしなかった。この様な状態になるまで、こんな事は無かった。

やはり、私の中の何かが変化した事に間違いは無い。その変化が病気の為で、この病気が治れば、元に戻るのならば良いのだが…。

ともかく、この日は、私の、決して元気とは言えないが、それなりに生活している様子を母に見せた。私のそんな様子を、母がどう捉えたかは定かでないが、多少は安心したのだろう、兄のもとへ寝泊まりしてもらう事には了解してくれた。

そして、また一人になった私は、昨日と同じように、何をする訳でもなく、だらだらと過ごした。


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