鬱病生活記

 表紙
 目次
 はじめに
 第一章

 第二章

 第三章

 第四章

 第五章

 第六章

第二章 精神病院での入院暮らし

3.精神病院から脱走

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【私の登校拒否経験から生まれた独立心】

ちょっと、話は飛ぶのだが、何故に私が親から独立する事について、強い願望を持つに至ったかを説明したいと思う。

私は、小学校6年生の冬休み明けから、登校拒否をするようになっていた。
この頃、兄の家庭内暴力がいよいよ酷くなったと見え、私の家族は、兄には内緒で、近くに近くにアパートを借りて、母と私と弟がそこに移り住み、父と兄がマーホームで暮らすような別居生活を送る事になった。
それを期に、私は、楽しかった小学校に通えなくなってしまった。

この別居生活に至る前の冬休み前後だったと思う。
元来、体は丈夫で、怪我や病気等の経験が無かった私が、肺炎と言う診断を受けて、1〜2週間ぐらいだっただろうか、入院生活を送る羽目になっていた。
(家庭内の不和等がストレスとして祟っていたのであろう。)
そんな入院生活でも、元々外交的であった私は、年の同じくらいの入院仲間が出来て、楽しい入院生活も送っていた。また、学校の友達も「あんたが入院するなんて。」等と言って見舞いに来てくたりもしていた。

別に、学校生活に何の不満も無かったのだが、何故だか、入院生活の後、別居生活が始まると共に、学校へ行く気にならなかった。

弟は、特に問題なく学校へ通っていた。

私は、元々一人でいるのが好きな質なのかもしれない。
学校にも行かず、母がアパートから外出すれば、私一人になれた。
そして、その状態が心地よかった。
この状態は、小学校を卒業するまで続いた。
ちなみに、私は小学校の卒業式さえ出ていない。


結局、私が登校拒否になったせいか、それとも、もっと離れた距離で別居する必要があったのか、同じ県内ではあるが、母と私と弟は、私が中学生になるのを期に、マイホームから少し離れた田舎の町に家を借り、移り住んだ。
「環境が変われば、私が新たな中学校に通えるだろう。」
両親がそう思案した結果なのかもしれない。
流石に、今の環境で何ら問題の無い弟は、この引っ越しについては嫌な所もあっただろうが、当然、兄と同じ家で生活する事などできず、一緒に移動せざるを得なかった。

さて、新しい春を迎え、私も弟も転校生として、新たな学校へと通学した。

私は、始業式のある登校初日、周りの生徒の目に怯え、非常に緊張した状態で、その日を過ごした事を覚えている。
田舎の学校だった為か、中学校の新入生と言っても、基本的には皆小学校時代から付き合いのある仲間どうしであった。
そんな中では、私一人が浮いていて、他の者が私をどんな目で見ているのかが気が気で無く、とても心の休まらない、居心地の良くないところであった。
少し悪びれた上級生なんかを目にすると、「虐められたらどうしよう。」等と言う、根拠のない不安さえ過る。
皆が、「あいつは誰だ。」と言うように扱われているようにも感じた。

今まで、転校と言う経験は幾度か繰り返してきたが、こんな思いに駆られたのは、始めてだった。
これまでの転校では、自分が特別扱いを受けている主人公のような心持で、前後左右の席に座る面々に積極的に声をかけ、いつの間にかクラスの中心人物になるようなことが常だった。

しかし、この時は、全く違った。私に対して先生が問いかけようものなら、何だか私が「おかしい。」と思われているのではないかと気苦労したり、当然、周りの同級生とは一言も会話もできなかった。

反面、弟は、嫌がっていた転校にもそれなりに溶け込み、数日もすれば、友達と遊びに出て行くようになっていった。

だが、私は、初日に登校して以来、また、登校拒否に陥った。
学校に行くには、家の近くにある踏切を通って行くのだが、登校2日目の朝、母に登校を促されると、「学校に行くなら、あの踏切で死んでやる。」と私は言い放ったのを覚えている。
これまでの事もあるものだから、流石に、死を訴える娘に対して、母は強制的に学校へ行かせるような事はしなかった。
そして、その後も私の登校拒否は続いたのであった。

別居生活など、流石に経済的にも楽なものでは無い。
母は、直ぐにパートを始め、日中は昼食時に私の面倒をみる為に戻ってくるぐらいで、その他の時間は、私一人。
そんな私は、テレビを眺めたり、ゲームをしたり、時には昔習ったカルメラを作って食べたりして、一人で過ごしていた。

そんな登校拒否を始めてから、約一週間ぐらいした頃、担任の先生が、クラスメートからの手紙を持ってやってきた。
対外的には、私は風邪をひいているとでも言って、休ませてもらっていたのだろう。
しかし、その時の私は、他人に会う事に殊更恐怖を覚えていた。

「担任が来る。」と母が言うと、私は、押し入れの中に隠れて、「絶対担任には合わせないようにしてくれ。」と、母に頼み、担任が帰るまで、押し入れの中で膝を抱え、ドキドキしながら時を過ごしていた。
担任は、私が会いたくない事を了解したらしく、無理に顔を合わせようとせず、持ってきた手紙を置いて帰って行った。
手紙には、対外的に“風邪”となっている私に対して、「元気になって早く学校に来てね。」といったゥラスメートからのメッセージが綴られていた。

少し励まされ、心も揺れたが、これまで優等生で通してきた私が、小学校6年生後半の授業を受けていないので学校の授業についていけないだろう事や、やはり、他人の目線が怖くて、再び登校する事は無かった。


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